えっ、じゃあ何で? [旅行]
京都の慈照寺(銀閣寺)には、
室町時代の創建当時から一度も外壁に銀箔が施されたことがなかったことが証明されました。
この事によって従来、金閣には金箔が貼られていたのだから、
銀閣にも銀箔が貼られていたのだろうという説は完全に否定されました。
今回何でこのようなことがわかったかというとですね、
来年度にも屋根のふき替えや一部の柱の取り換えなどの修復をするために、
寺が事前調査を依頼してわかったそうです。
ということはですね、慈照寺の通称名“銀閣”ってどこから出てきたんですかね?
何でも、江戸時代に金閣寺(鹿苑寺)に対して銀閣寺と呼ばれるようになったそうですが、
外壁に銀箔が施されていなかったのに、なぜ“銀閣”なんですかね?
まさか、金閣があるから銀閣なんてことはないですよねぇ。
でも、銀閣寺の外壁に銀箔が施されていなくて良かったですよ。
ボク正直なところ、金閣はあまり好きではないんですよ。
だって、派手じゃないですか。キンキラキンで。
それに対して、銀閣は漆塗りの落ち着いた感じで好きです。
もしも、創建当時には銀箔が施されていたとしたら、
外壁に銀箔を施すつもりだったんですかね?なんか、イヤですね。
それに、銀閣は、国宝なので銀箔を貼ろうとしたところでなかなか難しいと思います。
ちょっと話しが変わりますけれど、
三代将軍足利義満が建てた金閣は三層構造。
八代将軍義政が建てた銀閣は、二層構造なんですね。
金閣も銀閣ともに世界文化遺産です。でも、国宝の指定を受けているのは銀閣のみです。
それはご存じの方も多いと思いますが、
金閣は、昭和25年に放火されて消失してしまったからです。
いまの金閣は、その後昭和30年に再建されたものです。
でも消失する前は、銀閣同様国宝の指定を受けていました。
この金閣放火事件は、三島由紀夫の小説“金閣寺”や、
水上勉の小説“五番町夕霧楼”・“金閣炎上”にも描かれています。
でも、もしもタイムマシンがあったら2人の将軍にちょっと聞いてみたいですね。
まず、義満公に、“なぜ、舎利殿(金閣)に金箔を貼ったのか”と。
そして、義政公には、
“なぜ、あなたの造った観音殿(銀閣)は、
おじいさんの造った金閣みたいに銀箔を貼らなかったのか”と。
この2つのことって、直接聞いてみたいと思いませんか?
といったところで、今日は終わり。また、あした。
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